あなたは「大人」ですか?──漫画『大人大戦』が暴く、私たちの社会の急所

LIFE

原作:かっぴー 作画:都築真佐秋(少年ジャンプ+にて毎週土曜更新)

※3巻までの内容に触れています。核心的なネタバレは避けていますが、未読の方はご注意ください。


この漫画の「居心地の悪さ」の正体

『大人大戦』を読んでいると、どこか居心地が悪い。

監視カメラで互いの行動を評価し合う社会。荒唐無稽なディストピアSFのはずなのに、ページをめくるたびに「これ、もう半分くらい現実じゃないか?」という気持ちがじわじわと湧いてくる。

この漫画が描いているのは、架空の「ガーデン」というシステムだ。しかし、その本質をよく見ると、私たちがすでにどっぷり浸かっているSNS社会の構造を、ほんの少しだけ先鋭化しただけのものだと気づく。

そこに、この作品が持つ独特の「刺さり方」がある。

浦島優太郎という「時代錯誤」の装置

物語の核心はシンプルだ。主人公の浦島優太郎は、亡き父から受け取った言葉を胸に、自分なりの行動規範「大人憲法」を作り、正しい大人を目指して生きていた。ところが猫を助けようとして交通事故に遭い、15年間の昏睡状態に陥る。目覚めた先にあったのは、自分の「大人憲法」に感化された政治家がつくり上げた、国民が互いを評価し合う監視社会だった。

ここで効いているのが「浦島太郎」の構造だ。15年間のタイムスリップによって、読者は優太郎の目を通して、変わってしまった社会を「よそ者」として眺めることができる。これは実に巧みな仕掛けで、もし主人公がこの社会で生まれ育った人間だったら、読者はシステムの異常さに気づきにくい。優太郎が感じる違和感こそが、読者自身の違和感と重なる導線になっている。

そして、もうひとつ重要なのは、この社会を生んだのが優太郎自身の善意だという皮肉だ。「正しい大人になりたい」という純粋な志が、他者の手で制度化された瞬間に、まったく別のものに変質してしまった。これは個人の倫理観と社会制度の関係を考えるうえで、非常に示唆的な設定だと思う。

ガーデンは「新しい問題」なのか?

作中の国家公認SNS「ガーデン」は、国民を「大人階級」で格付けする。善行を積めば階級が上がり、サービスや特典が充実する。八等以上が「大人」として認められ、四等以上は「アッパー」として優遇される一方、十一等以下は「ロワー」と呼ばれ社会の隅に追いやられる。

読者はこのシステムを見て「ディストピアだ」と感じるだろう。しかし少し立ち止まって考えてみたい。

実は、こうした相互監視と評価の仕組みは、かつての日本社会にもあった。いわゆる「向こう三軒両隣」の地域コミュニティだ。近所の人が互いの生活を見守り、助け合い、同時に監視もしていた。善い行いは自然と評判になり、悪い行いはすぐに噂として広まった。ガーデンは、この古い仕組みをテクノロジーで復元したものだともいえる。

ただし、決定的な違いがある。かつてのコミュニティは「顔の見える関係」が前提だった。相手の事情を知っているからこそ、評価に温度があった。ガーデンにはそれがない。数値化された評価は、文脈も事情もすべて捨象してしまう。

あなたは、もし自分の日常の振る舞いがすべてスコア化されるとしたら、今と同じように生きられるだろうか?

「注目格差」── SNS社会の鏡

2巻で描かれる「注目格差」の問題は、この漫画が単なるSFではないことを決定的にする。

ガーデンの階級を上げるには、人に見てもらう必要がある。当然、有名人や容姿の良い人は注目を集めやすく、評価も積みやすい。都会にいれば人口が多い分だけ見てもらえるが、過疎地ではそもそも観測者が少ない。同じだけの善行をしても、注目度の差で結果がまるで違ってくる。

これは、今のSNSの構造そのものだ。フォロワーが多い人の投稿はさらに拡散され、影響力がお金に変わり、格差が再生産されていく。ルッキズムもインフルエンサー経済も、ガーデンと原理は同じだ。漫画は架空のシステムを通じて、すでに存在している現実の格差構造を可視化してくれている。

さらに厄介なのは、注目を集めること自体が目的化するリスクだ。「正しい行いをする」ことと「正しい行いを見せる」ことは、まったく別の行為である。ガーデン社会では、見られていない場所での善行には価値がない。これは、善行の動機そのものを変質させてしまう。

善行は「誰のため」にするのか

ここで根本的な問いにぶつかる。

善い行いは、誰かに見てもらうためにするものなのか? それとも、誰も見ていなくてもするものなのか?

ガーデンの欠陥の核心は、善行を「他者の評価」という外からの動機に完全に依存させてしまう点にある。かつて宗教が担っていたのは、まさにこの部分だった。「神様が見ている」という感覚は、他者の目がない場所でも道徳的に振る舞う動機を与えてくれた。ガーデンは「神の目」を「監視カメラ」に置き換えたシステムだともいえるが、両者の間には本質的な断絶がある。

神の目は内面化される。つまり、自分の心の中に基準が育つ。しかし監視カメラの目は、あくまで外部にある。外部の目がなくなった瞬間に、善行の動機も消えてしまう。

作中でも安達というキャラクターが象徴的な発言をしている。路上で倒れた父の財布が盗まれていた経験から、「神様はいるのかも知れないけど人間にそこまで興味がない」と考えるようになり、だからこそ「人間による相互評価システム」を支持するに至った。この論理は非常に筋が通っていて、だからこそ不気味だ。「神が見ていないなら、人間が見張るしかない」──その帰結がガーデンなのだとしたら、あなたはこの考え方に賛成するだろうか?

「大人の基準」を誰が決めるのか──見落とされがちな論点

読者の議論ではあまり取り上げられないが、実はこの漫画の中で最も危険な問いがある。「大人の基準は誰が決めるのか?」ということだ。

ガーデンでは善行を評価することで階級が決まる。だが、何を「善行」とするかの基準は、結局のところ多数派の価値観に依存する。現行のSNSを見ればわかるように、聞こえの良い正義感は集団心理と容易に結びつき、暴走しやすい。「正しさ」が数の論理で決まるとき、少数派の価値観は排除されていく。

さらに恐ろしいのは、このシステムを設計・運用する側に、自分たちの都合の良い価値観を「大人の基準」として埋め込む余地がある点だ。漫画の中で黒田議員がガーデン制度を推進した動機にも、今後の展開で疑問が投げかけられるだろう。善意から始まった制度が、権力によって歪められていくプロセスは、歴史上何度も繰り返されてきたことだ。

ジョージ・オーウェルの『1984年』を想像すればわかりやすい。あの世界でも、監視と評価の基準を握っているのは支配者だった。ガーデンと「ビッグ・ブラザー」の距離は、実はそう遠くないのかもしれない。

監視カメラの功罪──それでも「観測」は必要か

もちろん、監視カメラ(作中では「観測カメラ」)にメリットがないわけではない。

漫画の中でも具体例が描かれている。痴漢行為の抑止、孤独死の早期発見、車内に置き去りにされた子供の救出、AIによる顔認証で行方不明者を捜索できるシステム。テロ防止や犯罪捜査にも有効だろう。

これらのメリットを前にすると、「監視は絶対悪だ」とは言い切れなくなる。実際、私たちの社会でも防犯カメラは至る所に設置されている。コンビニにも、駅にも、街角にも。それを「安心」と感じるか「不気味」と感じるか、おそらく人によって違う。

しかし、個人のプライバシーが本人の許可なく第三者に知られてしまうリスクは無視できない。ストーカー行為や犯罪への悪用可能性もある。メリットとデメリットを天秤にかけたとき、あなたはどちらに傾くだろうか? そして、そのバランスを「誰が」判断するのか? この問いは、漫画の中だけの話ではない。

これからの社会で「大人」になるには

少子化が進む日本では、警察官の数も減っていく。法律や条例に違反していても罰則がないものは、ますます守られなくなるかもしれない。煽り運転、モンスターペアレント、モンスターカスタマー──こうした問題は、法律だけでは解決できない「モラル」の領域にある。

漫画の中でかっぴーが設定した「ガーデン」は、その問題への一つの回答だ。ただし、外部のシステムに人間の道徳を委ねることの危うさも、この漫画はしっかりと描いている。

では、ガーデンのような外部システムに頼らずに、社会のモラルを維持するにはどうすればいいのか。

鍵になるのは、リアルなコミュニケーションの中で形成される承認の仕組みだと考える。SNSでは写真を加工し、プロフィールを盛り、いくらでも虚像をつくれる。しかし、実際に顔を合わせて一緒に過ごす場では、ごまかしが効かない。性格が悪い人、何も知らない人、何もできない人は、どれだけ見た目を取り繕っても、リアルの場では一緒にいたいと思われない。

「自分はこうありたい」という理想の姿を設定し、そこに向かって地道に行動と努力を重ねていく。それを繰り返す中で、自然と周囲からの信頼が積み上がっていく。その過程こそが「大人になる」ということなのではないか。

原作者のかっぴー自身も、インタビューで興味深いことを語っている。かつては「いいクリエイターになりたい」と思っていたが、子供が生まれてからは「いい人間になりたい」に変わったと。「一旦は自分を横に置いて人生を考えるようになった」ことが、大人になるきっかけだったという。『大人大戦』の冒頭で描かれる路上喫煙を注意するシーンは、かっぴー自身の高校時代の実体験だそうだ。

このエピソードが示しているのは、「大人になる」とは、自分中心の世界から一歩踏み出して、他者や社会との関わりの中で自分を位置づけ直すことなのかもしれない、ということだ。ガーデンのように外から強制されるのではなく、内側から変わること。それは派手さも即効性もないが、おそらく唯一の本物だ。

今後AIが「見張り役」になる可能性

もうひとつ、この漫画を読みながら考えずにはいられないことがある。今後AIがさらに進化すれば、人間の行動をより正確に理解し、判断できるようになるかもしれない。

そのとき、行動の評価を人間同士の相互監視ではなく、AIが担うという選択肢はありうる。AIなら感情的なバイアスやルッキズムに左右されず、公平な評価ができるかもしれない。人間による評価の「注目格差」問題も解消される可能性がある。

しかし、そのAIの判断基準を誰がプログラムするのか。結局、どんなシステムも、それを設計する人間の価値観から逃れることはできない。AIが見張り役になったとしても、「大人の基準を誰が決めるのか」という問題は消えない。むしろ、その決定がブラックボックス化される分、より見えにくくなるだけかもしれない。

『大人大戦』は「他人事」ではない

この漫画が面白いのは、読者を安全な観客席に座らせてくれないところだ。

ガーデンを「ひどいシステムだ」と批判するのは簡単だ。しかし、私たちは日常的にSNSで他人を評価し、レビューサイトで店を格付けし、インフルエンサーの数字を気にしている。ガーデンは、私たちがすでに無意識にやっていることを、国家制度として可視化しただけだ。

あなたは今日、誰かの行動を心の中で「採点」しなかっただろうか?

『大人大戦』は連載1周年を迎え、JC4巻が4月3日に発売されたばかり。少年ジャンプ+で最新話が毎週土曜日に無料で読める。全12巻程度の構想とのことなので、物語はまだ折り返し前だ。ガーデンの正体、黒田議員の真意、そして浦島優太郎が見つける「本当の大人」の姿──まだまだ目が離せない。

読んだことがある人も、これから読む人も、ぜひ一度立ち止まって考えてみてほしい。

あなたにとって「大人」とは、何ですか?


漫画『大人大戦』(原作:かっぴー/作画:都築真佐秋)少年ジャンプ+にて毎週土曜更新で連載中。JC1〜4巻発売中。